第八章 (注1)一九二八(昭和三)年六月の張作揉の爆殺一九二八(昭和三)年六月の張作揉の爆殺は日本の関東軍の河本大作大佐たちの謀略だとされてきたが、最近ではソ連やイギリスの情報機関の資料の公開・解明から、スターリンの命令により日本軍の仕業に見せかけたことが明らかにされている(例えば、ユン・チアン著「マオ・誰も知らなかった毛沢東」講談社三〇一頁。ちなみに河本大作大佐は一九五一(昭和二十六)年に中国の収容所で獄死している。死後に手記なる文書で「自分の仕業だった」と告白している。面妖至極である。詳細は他日を期する。 |